学校の歴史

   平 成 

   昭  和

  明治〜大正

 @ 川原の里の由来

葛城山系に源を発し、校区を東西に二分するように流れ、やがては紀ノ川に合流する名手川は古くは水無(みなせ)川と呼ばれ、奈良時代末(770年)に開基された粉河寺の寺領の東限とされたことが、平安時代に記された記録に残されている。
 中世に入りこの地に丹生屋村が形成されると、名手川東岸の高野山名手荘(野上、馬宿を含む)との間に境界・用水をめぐるいさかいが発生するようになり、以来約230年の長期にわたって争いが展開されたようだ。
  近世に入り、東岸の名手荘内も西岸の粉河寺領内もともに和歌山藩領となり伊都郡代官所の管下で六ヵ村(野上、馬宿、東川原、西川原、上丹生谷、下丹生谷)すべて名手組に所属することになる。明治22年に上記六ヵ村を合わせて川原村が成立し、その後昭和(30年)の合併で粉河町、平成17年には紀の川市の一部となる。

A 学校の沿革
明治12. 3. 1   明治5年学制領布を受け、丹生小学校創立
              前身は上丹生谷金山寺に開かれていた寺子屋 校舎は廃寺の本堂を借用
   26. 4. 2   川原村立丹生尋常高等小学校と改称
   30. 4      校舎新築に着工
   31. 4. 8   新校舎に移転(野上122番地)
              西川原釈尊寺に分校を置く(東・西川原の1・2年生が通学)
       9.10   高等科(4年制)を併置川原尋常高等小学校と改称
   32. 4.     初めての入学式を挙行 裁縫科を加設
   33. 4      字ごとに学友団設け、集団登校を始める
       5.10   紀の川河原で連合運動会が行われる
   34. 2.10   初めての授業参観を開催
   35. 4      高等科3.4年生に農業科を加設
   36. 1. 1   学芸練習会を開催(最初の学習発表会)
   37.11.30   学校通信第1号を発行
   38.10.23   修学旅行実施(高等科全員高野山、尋常4年生以下根来)       大正4年の校舎
   40. 3      新校舎建築工事着工
       4      西川原分校廃止
      10      新校舎(南棟)落成
   42. 7.22   農業補習学校創立 
大正 9.11. 1   新校舎(北棟)落成
   13. 4.23   青年補習学校統一開校式を行う
   14. 8.26   同窓会発会
  

  手前が北棟(大正9年)中央が講堂兼教室(昭和9年)
(写真は100周年記念誌より